日印商談の「誰かがボールを落としてしまう」問題
先日、投資会社に勤めるインド人の知人と、デリーからとある工業地域へ車で向かっていた時のことです。
複数の投資先企業を担当している彼は、インド企業経営者の相談に乗ったり、海外企業との国際取引の商談をサポートしています。ところが、インドと日本の企業どうし商談がなかなか進まないケースをよく見るといいます。
「最初のころはインド側の企業も、日本側の企業も、お互いにめちゃくちゃ盛り上がって『一緒にやりましょう!』って熱いキャッチボールをかわしているのに、途中でなぜか話が進まなくなるんだ。どこかで誰かがいつの間にかボールを落として(“Somebody drop the ball” )、そのまま立ち消えになって、1年後ぐらいに『そういえばあの商談どうなったっけ?』ってなる。ほんとにミステリーだよ。」
いやそれ、全然ミステリーじゃないわ、って思いました。
我々、カクタス・グローバルリンクは、ゴリゴリのインド企業の日本チームなので、日本企業側、インド企業側、どちらの気持ちもわかってしまって、いたたまれない気持ち…というか、身につまされる「あるある」です。
インド企業の「いま・ここ」精神
この問題のメカニズムは、インド人と日本人の時間観のちがいによるものだと私は分析しています。例えばこんな感じです。
- インド側は「今、ここ」で、議論の中でダイナミックに事業を前に進めたい。
- 日本側は「一旦持ち帰って」、慎重に検討と根回しをしながら事業を進めたい。
日本人はインド国民に対して、時間にルーズでスローなイメージを持ちがちですが、ビジネスでのスピードへのこだわりにおいては、インド人の右に出るものはいないと思います。基本、今すぐやりたい、早くやりたい。
日印商談で、まだ何も決まっていない段階でインド側が「今月中に契約締結して、3ヶ月以内に事業開始しましょう。契約条件を3日以内に送ってもらえますか?」と言い出し、日本側が「え?いや…社内稟議と決済だけで3ヶ月かかるのでは…。ていうか、事業開始をそんなに早くどうやって?」と怯んでしまうシーン、めちゃくちゃよく遭遇します。
ここで怯んでしまった日本企業の担当者の方が、「うーん、3ヶ月かー。【インドA社】さんがそんなにお急ぎだと、弊社は期待に答えられないかもしれませんね…。」と真面目に悩まれてしまうことがあります。そんな時我々は、ニッコリ笑ってこう解説します。
「インド企業が口に出す数字にあんまり着目しないでください。3ヶ月、3日、これは『関係者全員が200%本気を出して、ドラゴンボールの界王拳を連発したら実現できるかもしれない最速ケース』の話をしている、と思ってくれて大丈夫です。要するに、『こちらは本気なので、フルコミットして一緒に頑張りましょう』程度に意訳してください。」
日本企業が「インド企業はスロー」と感じる理由
経営判断や意思決定では、プロセス重視の日本企業は、インド企業にとって「動きがスロー」「決断が遅い」と感じてしまいやすいです。一方で、全く別の側面で、日本企業側も「インド企業はスローだ」と感じています。
特に書類のやり取り、調整やコミュニケーションの段階で、急にインド側のレスポンスが遅くなることがあります。例えば、「すぐ契約しましょう」と言われて、日本企業が慌てて契約書類を送っても、インド企業側からレスポンスが何週間も戻ってこない。
日本側の担当者は「何か問題があったのだろうか?」と心配になりつつ、何度も催促するのは失礼かも…、きっと事情があるのだろう…、と静かに待ってしまうかもしれません。しかし、実際にはインド企業側は、法務担当者がたまたま長期休暇だったり、単なるプロセスエラーだったり、日本の企業に努める人には全く想像できない理由で仕事が止まっていたりすることがあります。
こんなすれ違いが続くと、インド企業と日本企業、両方が「相手はやる気があるのか」と感じてしまい、いつの間にか熱が冷めて「なんか思ったのと違った」と商談が停滞してしまうことがあります。「ボールが落ちた」というより、別々の競技を始めてしまっているようなものかもしれません。
インド企業はなぜ「生き急ぐ」のか?
IMFの2026年7月の見通しでは、2026年の実質GDP成長率予測は、暦年ベースでインドが7.0%に対して、日本は0.6%です。このGDP成長率も、インド企業が日本人からみて「生き急ぎすぎている」ように見える要因だと思います。つまり、同じ一年でも、インド企業の経営者にとっては、周囲の景色が変わる速さがずいぶん違うというわけです。(出典:IMF「世界経済見通し」2026年7月改訂版、表1・注5)
少し大げさに言うと、発展途上国にいるインド人は、激動の「現在」を生きている感覚かもしれません。そこには踏襲すべき過去も、予測できる未来もありません。彼らにとっては、「今ここにあるチャンス」に賭けることが全てです。対照的に、日本人は「過去」の成功・失敗法則の上に立ち、即座に「未来」の現実的な見通しを立てることに長けていると感じます。
日印商談仲介の現場でも、インド企業がああだこうだと「WHAT(何をやりたいか)」のアイディアを次々繰り出す間に、日本企業がそれを聞きながら「HOW(どうすればできるか)」を同時に考え始めてしまい、全然話が噛み合わなくなってしまうことがあります。日本人からしたら「できるかわからないアイディアを、なぜ今議論するのか?」、インド人からすれば「やってみなければわからないことの実現性を、なぜ今議論するのか?」とすれ違うわけです。
「1ヶ月以内にリリースしろ」の真意
弊社のインド本社のボスたちの口癖も「その新事業、1ヶ月以内に開始しろ」です。この口癖には再現性があり、入社以来ずっと、ありとあらゆるインド人ボスからこれを言われてきました。
最近も、ウェブプラットフォームのリリースを計画した時に言われました。普通に考えて最速で3、4ヶ月はかかる案件です。とはいえ、19年もインド企業にどっぷり浸かっている日本人としては、今や「出たよ、林先生」と心の中で思うぐらいです。
彼らの言う「いつ事業化するの?今でしょ」の根底には、「時間をかけて完璧に実行することと、その結果成功することは別の話」という哲学があるのだと思います。明日何が起きるかわからない激動の市場では、綿密に描いた未来予想図などすぐに意味を失うかもしれません。唯一の拠り所は自分たちの気合いと行動だけ。だからまず「やる」と決める。急進的なゴールを掲げて旗を振り、チームを鼓舞する。インド企業の内部は、こうやってビジネスを進めています。
「お祈り」が効くこともある
この発想の違いに日本人が慣れるのは大変ですが、一つ安心していただきたいのは、「1ヶ月以内にリリースしろ」を言葉通り受け取る必要はないということです。
このポイントは説明が難しくて誤解を招くかもしれないのですが、インド人経営者が掲げる「1ヶ月以内にできる」といったメンタル・ターゲットを、私は心の中で「お祈り」と呼んでいます。
実際、インド人のボスとカフェテリアでバッタリ会って、「ああ言ってたけど、ほんとに1ヶ月で実現できると思う?」とこっそり聞くと、「遅れた時は遅れた時だよ。3ヶ月かかるものを3ヶ月でやれと言ったら、6ヶ月に伸びるだろ?1ヶ月でやれと言えば3ヶ月でできるかもしれないじゃないか」と返してきました。
だからといって、そのボスも従業員も適当にやっているのではありません。「1ヶ月でできる」を信じて、本気で間に合わせようとします。それが、ただのハッタリではなく「お祈り」と表現した理由です。そのお祈りが効いて奇跡を起こし、3ヶ月かかる仕事が1ヶ月で終わったことも何度か本当にありました。
インド人の空気を読め
「今やろう、すぐやろう」とスピードを求めてくるインド企業パートナーに、「いろいろ検討事項もあるから、現実的な日程にしよう」と正論を言っても、あまり喜ばれないのが現実です。こちらが商談に乗り気だからこそ工程の話をしていても、相手には始める前からブレーキを踏んでいるように聞こえている可能性があります。
インド企業とのビジネスを成功させたいのであれば、ここはインド特有の空気を読む必要があります。
まずお互いが「やる」と決めること。この合意がインド企業にとっては一番大切な第一歩です。予想外の問題は必ず生じます。日本とちがって予測困難な社会を生きてきたからこそ、インド人は計画通り物事が進まないことに耐性を持ち、問題が生じたら話し合って柔軟に解決することに長けています。インド市場で共に戦う以上、彼らは自分たちと同じように、立ちはだかる壁を一緒に壊して乗り越えていく覚悟とコミットメントのあるパートナーを求めているのです。
ちなみに私自身は、短期間での事業化のコミットを求められた場合、2つの方法で対処しています。1つ目は、精神衛生のために頭の中でそっと日程を2〜3倍にして心の余裕を作ること。2つ目は、自分が思う完成度60%〜70%を完了のゴールにして成功体験を前倒しにすることです。その上で、「お祈り」が効くように最善を尽くします。
インド企業との商談が難航していたら、日本の文脈で先方の行動や言葉を解釈しすぎてないか?と、見直してみると良いかもしれません。表面的な勘違いで話がこじれているだけで、案外両社の意向は同じだったりします。商談キャッチボールの途中でボールが落ちたら拾えばいいだけです。何度も落として拾って投げ返すうちに、お互いの真意が見えてくるはずです。
